当山は建久5年(1194)、三浦大介義明を開基として源頼朝が建立して820年余の星霜をへた名刹である。
この年は義明が逝って14年もたったが、頼朝は伊豆の挙兵のおりに老大をなげうち、幕府開闢の礎になった無二の忠臣義明の霊に一字を献じたかったのであろう。
140年ののち、仏乗禅師が中興開山となり、臨済宗建長寺派の寺となり、禅寺として今に至っている。
宝永2年(1705)火災にあい堂宇が鳥有に帰したのを、寛延2年(1749)仏心禅師が再建し、旧山号の雲龍山を改め、義明山としたと伝えられている。
義明の法名は満昌寺殿義明禅鑑大禅定門といい、位牌は本尊の右手におまつりしている。本堂前のサツキの大株は「頼朝手向けの杜鵑花」といわれている。
沿革
建久5年 三浦大介義明を開基として源頼朝が建立
義明が逝って14年もたったが、頼朝は伊豆の挙兵のおりに老大をなげうち、幕府開闢の礎になった無二の忠臣義明の霊に一字を献じたかったのであろう。
仏乗禅師が中興開山となり、臨済宗建長寺派の寺となり、禅寺として今に至る。
宝永2年(1705年)火災にあい堂宇が鳥有に帰したのを、寛延2年(1749年) 仏心禅師が再建し、旧山号の雲龍山を改め、義明山としたと伝えられている。